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お経の翻訳

大法輪寺東京別院では、本日より「お経の翻訳」というページを掲載してまいりま
す。既成の宗派宗門の教義にはとらわれることなく、私の霊的体験を交えながら、あ
くまでも精神科学としての切り口真理から各種経典を語ってゆきたく存じます。どう
か皆様の御所見をいただきたく、これからもよろしくご覧を下さりますよう、お願い
を申し上げる次第にございます。


  平成18年7月3日  「神理正法」のカナメ (6)最終文章
Date: 2006-07-03 (Mon)
(17)心のなかに、イライラ、恨み、嫉妬、怒り、足ることを忘れた欲望などが生じたならば、すぐにその原因を追究すること。 先ずは、その時・そこに置かれた自分そして自分を取り巻く様々な環境や条件をよくよくと斟酌いたし、そのうえで自分自身がとった想念ありようや思い方・考え方 実際の行動それ自体の 是非を、まさしく客観的・公正に質すことにあります。 果たして自分はその場にあって正しく物事をわきまえ行動をとったものか 否か? あくまでも自分自身の問題としてこれは捉えられるべきであって、他の人や外部にあった他の理由・条件など、ここでは問題外としなくてはならない。 自分以外の他の人は 他の理由・条件は、ここではどうでもいいのです。 すなわち責任転嫁はしてはならない、それであります。 その場にあって、自分自身に間違いがもしあれば、すぐにそして素直にこれを認め、これからはそうはしていかない自分自身となれるよう、強く厳しく 自らを戒めるのです。 自分自らが実際にとった想念や行動それ自体を、ここでは問題にしなくてはならないということであります。 

(18)そして次には、その場にあって人間感情として自分自身はどんな気持になっていたのか? これを考えていきます。 気持ちを暗くさせてしまったか、気持ちをイライラさせてしまったか、怒りや争いに走ったりやしなかったか、恨みや嫉妬 愚痴や慢心 偏屈な心、あるいは足ることを忘れた欲望などに駆られたりはしなかったか、これらの事実 そしてどうして自分はこんなにまでなってしまったのか? 弱さがクッキリと現われ出た自身・心の原因を、また公正に突き止めていくのです。 よくよくと心に染み亘るまで、その原点・源となった弱い自分自身の心の在り処=気持とジカに向き合い 対面をし、金輪際そうした自分とはなっていかないよう、これまた強く自分自身を戒めるのです。 これら間違い・誤りを再び繰り返さないよう努めることにあります。 いわゆる反省という実践をしていくことです。

そして同時に、自らの心の中に在しまする神に詫び、これからはそんなことはしていかない自分自身となって生きるべきことを、強く我が心に言い聞かせそして誓い、斯くよう実行していくことです。 これ以上 自分自らの心から暗い想念を造らないためにも……これ以上、自分自身が不幸にならないためにも……です。  

(19)ここで、「我は神・子 光なり、我が心よ 神の光に包まれよ!」と、自分自らの間違い・誤りを神に詫びて、心に祈願いたします。 そのとき、われわれは白光・あの太陽にも似た黄金色によって輝き出された慈愛そのもの、神の光によって全身全霊が満たされ、心の安らぎという三昧の境地へと到達することができ、天上界との光の合体がされるのです。

 「私達の意識・魂こそ、己自身の最も偉大な指導者であり、私達の心の中に内在されている潜在意識のうちには、転生輪廻の過程の中で体験した 偉大な智慧の宝庫が秘められている。 神なる叡智が秘められている。」ということであります。 この偉大な宝庫の扉を閉めているのは、まさしく 自分自身の心の不調和な、想念の曇りによってなのであります。

(20)このようにして、この世・現象界に生きる私達人間の修行の価値は、より豊かな広い大きな心を 我がものとさせんがため、人生航路という苦楽の体験の中から、新しい学習を修得することにあり、それによって より一層高い心の次元へと、私達意識・魂は進化されて行くことになるということであり、それは同時に、私達人間が神・仏の子として生きていくうえでの前進・向上してゆける悦びとも共にでき、それらは我が魂の内奥へと 光・光・光の輝きとなりながら大きく昇華されてゆくことにもなるからであります。

(21)「法」は道であり、この道は「実践」にこそ ある。 そのうえで、私達人間は神・仏の子としての本義に目覚め、この地上界に神の心である「中道神理 正法」という「法」を弘め、そしてこれを常に心の糧として生きていくべきで、その結果として 仏国土ユートピアは着実に完成されてゆくことになるものである。 私達人間の今は、永い地球生活によって造り出してしまった「法」に反した塵や埃りによって、神理を蔽っている状態にある。 しかし、私達一人一人が自分自らの心と行ないのこれからのありかた如何によって、それらは確実に取り除かれることにもなり、もって光明の神理は再び現われ、調和へと向かう環境が造り出されて行くということになるということだ。 今、私達は厳しい混乱・混濁とした社会生活を体験しているが、それはあくまでも、やがて来る光明の仏国土ユートピアへの試練なのである。 ために 私達は日夜こうした努力を怠ってはならない。

(完)


  平成18年6月19日  「神理正法」のカナメ (5)
Date: 2006-06-19 (Mon)
(11)私達人間は、最も厳しいこの世・地上界で修行をしている・今その過程にあるのだ。 それは、私達人間が神・仏の子として神より負託された依命を全うしていく、それらための試練でもあるといえよう。 私達は、千載一遇 この世・地上界に生きるという、与えられた絶好の機会を十分に生かし活用をして、自らしてより豊かな心を完成させるとともに、社会人類のために身を奉仕すること、それらを心掛けるべきである。 その結果、自分自らの心と人々多くの心との大調和が造り出され、まさしく光明に満たされた安らぎの境地が、この地上界にも造り出されていけることになるのである。

(12)私達人間は、この世・地上界に一回生まれたというだけで、完成されるものではない。 神はそれを望んでもいない。 人間としての転生輪廻の積み重ね、それら実践・体験をとおして、一つひとつ 着実に より豊かな心は造り出されて行くものであるということを正しくわきまえるべきである。 そして、何よりも大切なこと、それは無駄な体験を繰り返さないよう、生活を正しく律していくということ、これにある。 そしてあらゆる体験に対して、感謝することを忘れてはならない。 悪をとおして善を知り、善をとおしてより大善を知るようにすること。 これが、私達の心を豊かにさせるための教訓である。

(13)私達の日常生活のなかで、愚痴を言ったり 怒ったりといった反抗的な想念と行為が高まるにつれて、心の中で苦悩の重みは倍加されるものである。 しかし、心の調和がとれ、安らぎの境地へと向かって行くに随って、苦悩の重荷は軽くなるものでもある。

(14)人生航路の日々の生活のなかで、心の中に常に不満や苦しみを持てば、心の歪みは次第に大きくなり、私達の身体も不調和な霊囲気に包まれて行ってしまう。 しかし、一切の不満や苦しみは、自分自らの心のあり方・心の持ちようによって解消できるものである。 それには、その原因をよく追究して、よくよくと反省してみることが大切だ。 この世にあって生きる以上は、私達には学ばなくてはならない課題、修得しなくてはならない心の諸問題が次々と現われてくるものである。 そうした意味からすれば、私達は 常日頃から 心に歪みを造ってはならないということになる。 正しい心の規準をしっかりと持ち続け、生活を適切に律していくということが大事だといえよう。 あらゆる苦しみや困難も、神・仏の子としての目覚めへの、神からする計らいであるということを、ここでよくよく悟るべきである。 心の進歩のためには、いかなる厳しい試練も学びとらなくてはならない。 私達の意識・魂は、転生輪廻の過程において造り出した自らのカルマの状態と、神理の悟りの程度によって、その学習のランクが決まるものであるということだ。

(15)私達の想念と行為を裁くことのできるのは、他人でも誰でもない、神なる大意識に通じた自分自身の善我なる心そのものによってであるということを、再度ここで知らなくてはならない。 己の心の王国の支配者は、まさしく己自身だからである。 罪は、これら神の理を理解せず、斯くの如く実行していないために造り出されたものであって、それによって自分自らの心の歪みを増幅させるとともに、他人にも迷惑をかけることになる。

(16)眼に見える肉体舟のみが、私達そのものではない。 肉体舟は、私達の表現体の一つでしかなく、肉体舟の船頭さんである「不変の私という意識・魂こそが、本当の自分自身である」といえのだ。 

 →次回に続きます

  平成18年5月29日  「神理正法」のカナメ (4)
Date: 2006-05-29 (Mon)
(7)私達人間の一人一人は、あの世・実在界(天上界)それはすなわち私達の心ということになるわけですが、その私達の心の中に在します守護・指導霊や天使や光の天使達の監視下にあるのです。 従って、私達の思うことや行なうことは、すべて筒抜けだといえよう。 それはちょうど、私達が三次元立体空間から二次元の平面の世界に映し出されている映画やテレビを見ているように、である。 しかし、存在している次元の世界が異なるため、あの世・実在界から天使たちが私達に直接はたらきかけることは難しい。 それは、私達人間の想念の曇りや晴れ方がクルクルとよく変わるからでもある。

(8)正しい想念と正しい行為の積み重ねによって、私達の心の窓は開かれていくのです。 心の窓が開かれることによって、自らの心の中に内在されている転生の偉大な智慧は紐解かれるということ、そして同時にそれによって、あの世そのものも自由に見聞できるようになるということ、天上界・光の天使から様々な神の叡智を授けてもらえるということ、私達の心には本来そうした能力があるということを、是非とも知る必要があるのです。 これを見聞できず、偉大な叡智がなかなか紐解けないということは、その人の心の反省が未だ行き届かず、心の状態がそれだけ不完全なためだからといえるよう。 それは、あの世の世界と相通ずる受信のスイッチの入れ方がよくわからずにいるということでもあります。 自我我欲・自己保存の習慣的生活が、「神は我が心の内に在します」を忘れて、小さな心を造り出してしまい、結果としてこれらせっかくの能力をも放棄してしまった、ということなのです。

(9)「神は光なり、我とともに在り」 その真実・実在を知るためには、正法すなわち人間生活の中で得られるべき仏智=神の心を、己自らの心の物差しとして生活行為を実践していく中で、これを発見するしかありません。

 私達の心が調和され、安らぎの境地に到達し、執着を離れて足ることを悟った生活が実践されたとき、光の天使たちが私達の心の中に現れるのである。 こうした心の準備ができたとき、私達・心の中に在しまする指導霊や守護霊達の助力が得られるということでもある。 これに反し、自分中心 反省も懺悔もないまま、混乱した不調和な心と生活が勝手気ままに積み重ねられていけば、その人の心は暗い地獄霊達によって取り囲まれ、さらには心の混乱が生じ、精神分裂症という病いで自分自らの心身は失われ、人格が変わってしまうことになる。 しかし、己の心を取り戻したときには、それら地獄霊達はその人の傍に近寄ることはできないのである。 心がおもむく世界が お互い全く異なってしまったからである。

(10)いかに混乱した不調和な環境に置かれても、真の己自身は忘れてはならない。
そのためには、肉体五官(眼耳鼻舌身)ばかりを頼りにした生き方をしてはならないということである。 常に私達の意識は、次元を超えた世界、やがて私達が帰らなくてはならない世界=あの世・実在界に通じているということ、このことを再度ここで悟るべきである。 そして、偉大な光の大指導霊たちからいつどんな時にあっても送られているはずの調和の光を、己自らの努力によって造り出す 丸い豊かな心のなかへと取り込み・吸収をさせ、我がものとさせてゆく、いわゆる「祈り」をすることである。

  平成18年5月13日  「神理正法」のカナメ (3)
Date: 2006-05-13 (Sat)
(5)人のために慈愛をほどこす者は、他人からも慈愛が与えられる。 社会人類のために慈愛を施そうと思っている者達には、慈愛を施される資格が与えられるということである。 人間は誰でも、心の奥底で、善い想念と善い行為からなる調和を望んでいるものだ。 それが自分にとって一番ふさわしいからである。

 自らの欠点に、強い意志をもって立ち向かい、それに打ち克つことができること、それが自らの霊囲気を光明に満たす第一歩だといえよう。 悦びに満ちた生活は、私達一人一人の、正しく偏りのない判断と行動にかかっている。 それは決して遠い理想境ではない。 私達人間の心と心とのお互いの調和が行き届かれていれば、苦痛や不幸が起こることなど決してあり得ない。 ちょうど、静かな水面に丸い月影がそのまま映し出されていくように、心の歪みが丸い心に歪みを造り出しているということである。

(6)人間はいつでも「正しい心のあり方」を探し求めているのだ。 それも、自らの心をよく知り、欠点を素直に認め、勇気をもって自らを正していけば、自然と探し求められていくという、はっきりとした解決の糸口が見えているはずなのに、対象とされるべき自らの心、自らの欠点や短所があまりにも自分の身近にあるため、ただそれに気が付かず 見えないだけ、わからないだけ、それが実情だと!いえよう。 しかし、人間としての生まれ替わり死に替わり いわゆる転生の輪廻という苦楽の過程の中で、様々に学ばされることになった不変の正しい規準を、私達人間は自らの努力によって思い出して行くことになるであろう。 それは、正しい規準が、永遠に変わらない神の心(意)の現れであるからである。

 恐怖心は、悪の世界に通じ、現象化されていくものだ。 恐れてはならない。 常に冷静にして、本心を失うことなく、正しい物の判断が必要である。 そして、常に快活にして、朗らかな環境を造らなくてはならない。 ジメジメとした暗い環境には、ゴキブリや蛆虫(うじむし)が湧く。 太陽の光に満たされている環境には、美しい緑に包まれ、花々が咲き誇る―――。

 →次回に続きます

  平成18年4月24日  「神理正法」のカナメ (2)
Date: 2006-04-24 (Mon)
(3) 苦しみも悲しみも、私達自分自身からする心の作用を伴なわせて、自らして造り出されたものである。 苦楽の体験も、実は悟りへの道程・道標といえよう。 なぜならば、我が心の中で通じている神なる意識は、私達人間が自分で自由に体験をし造り出して来た、不調和な想念と行為の誤りや人生の課題を反省することによって、心の中の暗い不調和な曇りは取り払われ、真我すなわち善我なる偉大な智慧を持ち得るようになるからである。 それは自らの努力と実践によってである。

 私達人間が、大自然界示しおもむく 大調和へと到る道を選ぶか、それとも勝手気ままな混乱した不調和へと到る道を選ぶかは、まさしく自由の権限が与えられている。 しかし、人間は物質的欲望や、情欲の自己保存・自我我欲、闘争や破壊ばかりの不調和な環境を、得てして 造り出していくものである。


(4) 何度か同じ誤りを繰り返し、苦しみや悲しみを体験し、その結果ついに、慈悲と愛による(共々のいたわり合い・助け合いの実践)による心身相い満たされた調和ある生活がいかに大切なものであるか、それを学ぶのである。 不調和な想念を持ち行動をする、心ない人々によって造り出された集団は、自ら蒔いた悪の種を、それこそ!苦しみや悲しみばかりで覆われた厳しい環境という中で、刈り取らなくてはならない。 そして自然界は、天変地異や人災を通して、私達人間に誤りを気づかせる。 さらに同じ誤りを犯せば、より大きな試練が与えられ、さらに誤りを重ねればより一層厳しい反作用が与えられる。 突き離されて、最後には自分自らの誤りを自分自らして学ばされる仕組みになっているのである。

 私達人間の心は一念三千、自由自在な意識想念を持って生き続けている。 こうした自由な心のうちで、苦しみと悲しみを体験し、それら人生過程の中で様々に懺悔し・反省をし、そうした中から世の中を学び、人間の本質を学び、あるべき生き方を学び、もって心を豊かにさせていく能力を学んで行くのである。 それだけに自分自らの心のあり方・それら欠点や短所をよくよくと理解し、納得することは、自らの悩みを和らげる最善の近道といえよう。 


→次回に続きます

  平成18年4月14日  「神理正法」のカナメ (1)
Date: 2006-04-14 (Fri)
 今回の「お経の翻訳」では、これまでずっと大法輪寺東京別院ホームページにおいて述べてきたことを集大成する意味を籠めて、お釈迦さまの仏法すなわち「神理正法」のカナメを、以下 数回に分けて掲示いたすことにしました。 皆様におかれましては、どうか これをお読みくださり、「神理正法」ご理解の一助に資していただければ、何よりのことと存じます。

大法輪寺東京別院  佐藤方昭


(1) 私達人間は、神・仏の子としての尊い人格を持って、大宇宙体の各細胞とともに、神の心である大調和に、仏国土ユートピア建設のために、永遠の転生輪廻を繰り返している生命体なのである。 自ら、より豊かな丸く広い心を完成し、大宇宙体・大生命に調和するため、私達は今も輪廻をしている途上なのである。 地球という場に適応した肉体舟に乗って、私達の魂・意識は、それら目的を果たすため、今 この世という不安定な固体的物質界 この混乱した不調和な世界にあって、一秒一秒の過ぎ行く中であらゆる体験を積んで修行を続けている 一過程にあるのだ。

 これら人間としての転生輪廻にあって私達が体験した一切の諸現象……想念と行為は、自らの意識の内部にある記憶連合領ともいうべき想念帯に記憶されている。 過去世の体験と想念も、潜在された想念帯に、奥深く秘められているということである。

 この偉大な宝庫の扉を開くことができるのは、神でも他人でもない。 自分自身の正しい想念と正しい行為の積み重ねによって、神の心と調和されたとき、仏智は開(ひら)かれるのである。 それをマハーパニャーパラーミター、仏教では摩訶般若波羅蜜多と教えている。 それは、自らの心の中に内在されている転生の過程で培った偉大な智慧に到達ができるということ、天上界・光の天使から様々に送られてくる神なる叡智を直接受けることができる意識境地へと到達ができること、これを意味します。

 意識界すなわちあの世という世界は、この世・三次元立体空間としてある物質現象界=固体的不安定な荒い波動の世界とは異なり、より細密精巧な光の粒子波動によってできあがった、最も精妙な、すべての物を造り出す実在の世界となって在り、いわば次元を高くした世界となって、この世・地上界を全面からスッポリと覆い尽くしている、大きな広がりとなって在る世界なのである。 私達・心の世界とはそうした実態となって在るものだ。


(2) 自ら求めて偏りのない人生航路を渡る修行者は、欠点を素直に認め、いたずらに過去にこだわることなく正しく反省をして、神の心と調和されるべく常に前進すべきである。  自らの心の偽我に打ち克つことのできる者こそ、真に善我を悟った勇気ある人といえよう。 人間は、あの世といわれる高次元・意識精妙な世界から、自ら両親や環境を選んで、肉体先祖から継承されてきた肉体舟に乗ってこの世に生まれ、厳しい盲目の人生を体験学習している修行者なのである。

 闘争も破壊も、私達人間が神・仏の子としての自覚を忘れ果て、勝手気ままに造り出してしまった、不調和な想念の現われといえる。 やがて私達人間は神の心と大調和され、みな同胞であるという偉大な仏智に目覚め、共存共栄の仏国土ユートピアを自らの努力によって完成させることになるであろう。 今 経過しつつあるこれら不調和な混乱と迷妄は、永い歴史の中で人間が造り出して来たものではあるが、やがてはその愚かな諸現象から脱皮して、人間みな神・仏の子であるという厳粛なる事実、これを発見し自覚して、自らしてより豊かな、神の意にそった、広い慈悲に富んだ心を造り出して行くことになるということである。

 これら地上界の混乱と迷妄は、やがて来る神なる国・仏国土光明の世界への足がかりとなるということだ。 歴史の過程の中で、混乱を造り出して来た不調和な者達の行動を、私達はこの世に生れて来る前世 実在界・あの世の世界で見守りながら、先輩達の誤りを二度と犯すまいと、心に誓って来たのではあるが、私達は肉体舟に乗ってこの世・地上界に生れ出たと同時に、こうした事実は自らの心の中の潜在下に隠れてしまい、忘れ果ててしまったのである。 こうした忘却は、この世に生まれ出た瞬間から、私達の心の内奥にある潜在意識へと秘められてしまったからであり、ここに この世の修行の難しさがあるわけである。

 →次回に続きます 

  ご質問に答えて…………守護霊のいる人?  いない人?
Date: 2006-02-12 (Sun)
→お問い合わせ内容 : 
先日、妹を釈迦本尊奉られている霊能者の○○さんの所へ連れて行きました。 彼女は30年近く霊視をされていて評判はまずまずなんですが、妹は昭和○○年○月○日生まれで、年忌代わりで生まれてきたから先祖の年忌を調べるように言われました。 両親の戸籍謄本から年忌を調べてみましたが該当する方は見つかりませんでした。 妹には守護霊がいないと言われ年忌に当たる方に守護霊になってもらうようにしてあげると言われましたが、守護霊の居ない人など存在するのかお教えいただけないでしょうか。 私も去年見ていただいたとき4代前の方の名前が○○さんの口から出て驚きました。 妹は心配性なので不安がっており、年忌の該当者が居ないことをまだ告げておりません。 誠に勝手なお願いで恐縮ですがお教え下さればありがたいです。       (49歳 男性)



→私なりのお答え  :
 お答えいたします。 これから記すことは大法輪寺東京別院の「一筆啓上」や「お経の翻訳」でも触れておりますから、こちらからも参考補足としていただければありがたく存じます。 先ず、言葉の定義から始めさせていただきます。 守護霊とは自分の先祖の方がなるのではなく、過去世の自分・ワタクシ自身がなるのです。 なぜならば、私達の生命 《心=魂「転生輪廻(てんしょうりんね)によって個性化された自分」=霊的生命体》 は永遠であるからです。

 これは物理学の基本であるエネルギー不滅の法則・質量不変の法則とも合致することではありますが、私達一人一人が持つ意識エネルギー=心の絶対量というものは 天地創造以来 常に不変だからでもあります。 また、こうした霊魂不滅の理はくつがえしようがない事実となって、古今東西 これは広く証明がされています。 私達の仲間の中にも、こうした自分自らの過去世を思い出し、当時の言葉を様々にシャベリ、その意味内容も翻訳できる人は、事実おります。 お経でもこれを深く読んでいけば、そのように論理が組み立てられてもいます。

 永遠な生命ということであれば、この世とあの世との生まれ変わり・死に変わりがあって当然です。 これは循環=転生輪廻→因果応報といわれ、私達人間はあくまでも人間となってまた生まれ変わってくることになるということです。 ちょっと哲学的な言いまわしにはなっておりますが、同じくお経でもこのことははっきりといっております。 そうすると、今のワタクシがこの世に生まれ出たという事実は、肉体の先祖と 魂の先祖 (これはワタクシ・自分自身ということになりますが)という、二つの御先祖があって初めて成り立つことになります。 ところが、どこの坊さんも霊能者も、ご質問のように、肉体先祖が守護霊であると、そんなことばかりしか言いません。 このことについて ○○さん 不思議とは思いませんか? 結局、彼ら坊さんや霊能者たちはハッキリとした神理を知らない!ということになるのです。 もっと正確にいえば、既成仏教の宗派・宗門の教義・経典あるいは儀式ばかりに縛られ、それゆえ真実な仏陀(ぶっだ)・お釈迦様の教えにまでは辿り着けないといったほうがよいかもしれません。

 肉体先祖はもちろん大切ですが、それよりも 再び生まれてくるのは、実はワタクシなのでありますから、こちらの方がもっと大切なはずです。 そして皆だれでもは天上界から生まれてくるのであって、もしワタクシが地獄に堕ちていたなら、ワタクシがこの世に生まれ出てくることはあり得ないのです。 また肉体先祖とはいえ、彼らとワタクシとは肉体の血を分けた者同士であっても、所詮は他人です。 ワタクシではないからです。 もし、彼らが 例えば地獄界や寺や墓場に居て地縛霊や浮遊霊となって苦しんでいたとするなら、彼らは シゼン 自分たちの子孫に助けを求めてくることになりましょう。 こうしたとき、その子孫である 例えば○○さんの生きざま・行状を彼らはよく見ているはずですよ。 地獄界とはあの世・実在界のずっと下の方に在る暗い領域空間をさすのですが、そんな地獄界とはいえ、私達・三次元立体空間の世界よりは一つ次元が高くなりますから、彼らからすれば私達・この世の世界が手にとるようによく見えるのです。 ですから、この世に生きる私達自身がしっかりと生きていさえすれば、そこから善悪の比較対象ができ、彼らからすれば自らの過去の過ちがよくわかってくるのです。 懺悔と反省の機会が得られるということです。 また彼らが聴く耳を持ちさえすれば、私達が説く神理も学べられ、やがては天上界の入り口 (天上界の心の修養所) にまで帰って行けることになるのです。 みんなそこからこの世に生まれて来たのですから。 ですから先祖供養とは、後述する八正道を実践するなど、私達自身の生き方を正しくしていけば、もう それでかなりの部分はされたことになります。 しかし、俗にいう霊能者は、こうした神理は説きません。 決まって!何代か前の先祖の霊が浮かばれていないとか言って、必ず供養を強要します。 ホントにそうなのでしょうかねえ? それでは供養って何?

 霊能者たちは、四次元以上の霊 それが地獄界の人間霊や動物霊ではあっても、彼らと意識を同通させて(憑依されて)いる状態になっていますから、私達のわからないことがよくわかります。 ですから、霊能者たちの言動の善し悪し 論理の徹底さ 神理の理解度それらによって、彼らに付いている者の実態がはっきり読み取れることにもなるのです。 霊能者たちが神理とか真面目な生き方などでなく、現世利益ばかりの物質・お金とか権威など 依頼者の欲望へと関心をすり替え、それを駈き立てるような話ばかりとなったり、それに感情の起伏が激しく、言っていることがクルクルと変わったり、先祖供養をことさら強要して恐怖心や依頼信仰ばかりを焚き付けようとさせる、そんな場合は 先ずオカシイ!とみたほうがよいと思います。 彼ら地獄霊たちは等しく この世にとても強い執着を持っているからです。

 守護霊とは過去世のワタクシ自身なのですから、ワタクシの心がココにある以上は、守護霊はもうココに居ることになります。 別段、霊能者に高い金を払って、守護霊を設定?してもらわなくともよいのです。 それでは、守護霊と心を強く結び合わせ、ワタクシを守ってもらうためには、どうしたらよろしいのでしょう? それは、守護霊はワタクシの心の中に居るのですから、ワタクシの心を感度よくさせれば、それでよいことになります。 そうですよね! ならば、ワタクシの心の大掃除をすればよいのです。 大掃除とはお釈迦様がいう八正道(正見 正思 正語 正命 正業 正精進 正念 正定)ということになりますが、そんなことマドロッコシイという人があれば、怒らず・愚痴らず・ねたまず・頑固一徹にならず・足ることをよく知って、いつも感謝の心を忘れず、気持ちを明るく持って、一切を愛で包む、そんな生き方を 今スグ!実行していって下さい。 あとは継続性の問題となります。 同時に神理の学習をし、祈りをするのです。 その人の神理の理解度・実践度によって、守護霊たちとの交信はより深められていくものです。 現に彼らは天上界から今・ココに居る私達を見ているのですよ! 是非、お願いいたします。

 ワタクシが持つ「心」の九割以上そのほとんどは潜在意識によって占められているわけですが、その中には過去世のワタクシである幾多の守護霊たちが居るとともに、過去世で培った守護霊たち=ワタクシの得た様々な智慧(体験智)が秘されておりますし、天上界でに居る亡くなった両親ばかりか光の天使たちが、そして神さまもちゃんと居るのです。 永遠に生き通しているワタクシ自身が持つ「心」って 本当に素晴らしいものなのですよ! お互い「心」を大切にしたいものです。 大法輪寺東京別院では、こうした真実・神理を様々にわかりやすく説き示し、生命の永遠性を土台にした、人間=神・仏の子として生きてゆくべき、本当の幸せを強く願いながら、活動をしているのです。 決して他の寺や宗教団体では説き明かされない、様々な神理を私達は提示いたします。

    以上です。

  祈願文
Date: 2006-02-02 (Thu)
 祈りとは神仏の心と己(おのれ)の心との対話である。 同時に感謝の心が祈りでもある。 神理にかなう祈り心で実践に移るとき、神仏の光はわが心身に燦然(さんぜん)と輝き、安らぎと調和を与えずにはおかない。



 私たちは、神さま 仏さまとの約束により 天上界より両親を縁として、この地上界に生まれてきました。 慈悲と愛の心を持って、調和を目的とし、人々と互いに手を取り合って生きてゆくことを誓い合いました。 しかるに、地上界に生まれ出た私たちは、天上界での神さま仏さまとの約束を忘れ、周囲の環境 教育 思想 習慣 そして肉体の五官に翻弄され、ある時には 怒り 妬み そしり 愚痴り、またある時には足ることを忘れた欲望に駆られ、心を忘れ 神を忘れ 仏を忘れ あの世を忘れ、この世中心 物質本位 自分本位に生き、今生自らが思い 行なってきた一つ一つを謙虚に反省、過ちあるならば その間違いの原因を公正に突き止め、素直にこれを訂正し 懺悔する気持ちすらも忘れ、慈悲と愛 そして中道・反省の心を見失い、今日まで過ごしてまいりました。

 いま、こうして神さまの心・神理正法(しょうほう)にふれ、過ち多き過去を振り返ると、自己保存 足ることを知らぬ欲望の愚かさに 胸がつまる思いです。 神さま 仏さまとの約束を思い出し、自分を正す反省を毎日行ない、神さまの心・神理正法を心の糧として 己の使命を果たして行きます。 願わくば、私たちの心に神の光をお与え下さい。 仏国土・ユートピア実現に お力をお与え下さい。


 大宇宙大神霊さま・仏さま、わが心に神の光をお与え下さい。 心に安らぎをお与え下さい。 神さまの心・神理正法を己の糧(かて)として 日々の生活をします。 日々の御指導 心から感謝いたします。

 天上界に在しまする 諸如来 諸菩薩 光の天使かたがた。 わが心に神の光をお与え下さい。 心に安らぎをお与え下さい。 神さまの心・神理正法を己の糧として 日々の生活をいたします。 日々の御指導 心から感謝いたします。

 天上界に在しまする諸天善神さま。 わが心に神の光をお与え下さい。 心に安らぎをお与え下さい。 わが心を正し、一切の魔より お守り下さい。 日々の御指導 心から感謝いたします。

 わが心の中に在しまする守護霊さま 指導霊さま。 わが心を正しくお導き下さい。 心に安らぎをお与え下さい。 日々の御指導 心から感謝いたします。

 わが全身肉体細胞集団をはじめとする万生万物かたがた。
わが現象界の修行に御協力 心から感謝いたします。

 わが肉体先祖代々の諸霊かたがた。 私に修行の身体をお与え下さいまして、心から感謝いたします。 諸霊皆様かたがたの御冥福を心から供養いたします。

  平成17年12月31日――― 神さまの心・神理正法(しょうほう) 心行(しんぎょう)
Date: 2005-12-31 (Sat)
 仏陀(お釈迦様)の悟り  心 行

 心行は、宇宙の神理 人間の心を、言霊によって表現したものである。 それゆえ、心行は、拝むものでも、暗記するものでもなく、これを理解し、行なうものである。 正法は、実践のなかにこそ、生命が宿ることを 知るべし。

 (仏陀といわれる方は、このように覚りました。)


 われ いま 見聞し、正法に帰依することを得たり。 広大なる宇宙体は、万生万物の根元にして、万生万物 相互の作用により、転生輪廻(てんしょうりんね)の法にしたがう。 大宇宙 大自然界に意識あり。 意識は大宇宙体を支配し、万生万物をして調和の姿を示さん。 万生万物は広大無辺な 大慈悲なり。 大宇宙体は 意識の当体にして、意識の中心は 心なり。 心は慈悲と愛の塊り にして、当体・意識は不二なることを 悟るべし。 この大意識こそ、大宇宙大神霊・仏なるべし。 神仏なるがゆえに、当体は大神体なり。

 この現象界における太陽系は、大宇宙体の小さな諸器官の一つに過ぎず、地球は小さな細胞体なることを知るべし。 当体の細胞なるがゆえに、細胞に意識あり。 かくの如く、万物すべて生命にして、エネルギーの塊りなることを悟るべし。 大宇宙体は 大神体なるがゆえに、この現象界の地球も 神体なり。 神体 神の体なるがゆえに、大神殿なるべし。 大神殿は万生 魂の修行所なり。

 諸々の諸霊 皆 ここに集まれり。 諸霊の輪廻は三世の流転、この現象界で己の魂を磨き、神意に添った仏国土・ユートピアを建設せんが ためなり。 さらに、宇宙体万生が 神意にかなう 調和のとれた世界を建設せんがため、己の魂を修行せることを悟るべし。

 過去世・現世・来世の三世は、生命流転の過程にして、永久(とわ)に不変なることを知るべし。 過去世は 己が修行せし前世、すなわち過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり。 現世は 生命・物質不二の現象界、この世界のことなり。 熱・光・環境一切を含めて、エネルギーの塊りにして、われら生命意識の修行所なり。 神仏より与えられし、慈悲と愛の環境なることを 感謝すべし。 来世は次元の異なる世界にして、現象界の肉体を去りし 諸霊の世界なり。 意識の調和度により 段階あり。 この段階は、神仏の心と 己の心の調和度による、光の量の区域なり。神仏と表裏一体の諸霊は 光明に満ち、実在の世界にあって 諸々の諸霊を 善導する 光の天使なり。 光の天使 すなわち諸如来・諸菩薩のことなり。 この現象界は、神仏より 一切の権限を 光の天使に委ねしところなり。 光の天使は、慈悲と愛の塊りにして、あの世・この世の諸霊を導かん。 さらに諸天善神あり。 諸々の諸霊を 一切の魔より守り、正しき衆生を 擁護せん。肉体を 有する 現世の天使は、諸々の衆生に 正法神理を説き、調和の光明へ導かん。

 この現象界におけるわれらは、過去世において、己が望み 両親より与えられし 肉体という舟に乗り、人生航路 の海原へ、己の 意識・魂を 磨き、神意の仏国土を 造らんがため、生まれ出でたることを 悟るべし。 肉体の支配者は、己の意識なり。 己の意識の中心は心なり。 心は 実在の世界に 通じ、己の守護・指導霊が、常に善導せることを忘れるべからず。 善導せるがために、己の心は 己自身に 忠実なることを 知るべし。

 しかるに、諸々の衆生は 己の肉体に 意識・心が 支配され、己が前世の約束 を忘れ、自己保存、自我我欲に 明け暮れて、己の心の魔に 支配され、神意に反し この現象界を過ぎ行かん。 また、生老病死の苦しみを 受け、己の本性も 忘れ去る ものなり。 その原因は 煩悩なり。 煩悩は、眼・耳・鼻・舌・身 それら肉体五官にとらわれた自分中心という小さな我という心、すなわち意からなる 六根が 煩悩の根元なり。 六根の調和は、常に中道 を 根本として、己の正しい心に 問うことなり。  己の正しい心に問うことは 反省にして、 反省の心は、己の魂が浄化されることを悟るべし。  己自身は孤独に非ず。 意識の中に、己に関連せし守護・指導霊の存在を 知るべし。 守護・指導霊に感謝し、 さらに反省は、己の守護・指導霊の導き を受けることを知るべし。  六根あるがゆえに、己が悟れば、菩提と化すことを悟るべし。

 神仏の大慈悲 に感謝し、万生相互の調和の心が、神意なることを悟るべし。 肉体先祖に 報恩供養 の心を忘れず、両親に対しては 孝養を尽くすべし。 心身を調和し、常に健全な生活をし、平和な環境を造るべし。 肉体保存のエネルギー源は、万生を含め、動物・植物・鉱物なり。 このエネルギー源に感謝の心を忘れず、日々の生活のなかにおいて、己の魂を修行すべし。 己の心・意識のエネルギー源は、調和のとれた日々の生活の中に、神仏より与えられることを 悟るべし。

 己の肉体が苦しめば、心 悩乱し、わが身 楽なれば、情欲に愛着す。 苦楽はともに 正道成就の根本にあらず。 苦楽の両極を捨て、中道に入り、自己保存、自我我欲の煩悩を捨てるべし。 一切の諸現象に対し、正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をなし、正しく生き、正しく道に精進し、正しく念じ、正しく定に入るべし。

 かくの如き、法に適う正法の生活の中にこそ、神仏の光明を得、迷いの岸より悟りの彼岸に到達するものなり。 このときに、神仏の心と己の心が調和され、心に安らぎを生ぜん。 心は 光明の世界に入り、三昧の境涯に到達せん。


 (この諸説は末法万年の神理なることを悟り、日々の生活の師とすべし)

  大法輪寺東京別院からのお知らせ
Date: 2005-12-28 (Wed)
 現在 執筆中の大法輪寺東京別院「お経の翻訳 法華経・如来寿量品」は イットキ お休みにさせていただきます。 同じ大法輪寺東京別院「一筆啓上」文章進行に合わせ ここに参考文章を掲載するためであります。 これからしばらくは、「一筆啓上」とともに「お経の翻訳」をも合わせ参照して、御理解におつとめ下さい。

 なお、「お経の翻訳 法華経・如来寿量品」は明年また復活の予定です。 明年は、法華経・如来寿量品とともに、法華経・観世音菩薩普門品(観音偈)の説明を、この「お経の翻訳」にて連載いたします。 御期待下さい。

大法輪寺東京別院   佐藤方昭 

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